人生とは「苦」を背負って生きていく道
「怨憎会苦(おんぞうえく)」
「怨憎会苦(おんぞうえく)」ですが、これは怨み憎しみ合う同士が会うことです。
すると互いに頼ることができないので、ともにいて苦しむことになります。
たとえば敵同士だと思うような人間が夫婦になるとか。
別れたらいいのですけれど、別れることもできません。
これは苦しいことです。
自分を憎み、嫌いだという相手への思いは、必ず相手にも反映して、自分のことを憎み、嫌われます。
相手がなぜ自分にとって嫌いなことをするのかということを考え、相手の立場に立って想像力を働かせれば、その人が、生まれつき愛されない環境に育ったとか、あるいは、ずっといじめられてきたとか、欲求不満の固まりであるとか、そういうことがわかります。
そうすれば、ただ憎むよりも哀れみを感じることができます。
憎しみを哀れみに変えることが出来れば、自分も救われると思います。
これはいろいろ解釈があります。
仏教的な見方では、極めて素朴ですが、原始仏教では、人間の体は五つの要素が集まってできています。
五つの要素は「地水大風空」です。
「地」は大地のように固い骨。
「水」は唾液とか血といったような液体。
「火」は熟ですから体温。
「風」は呼吸。
そういう四つのものが集まって、これが「空」であると考えられています。
これはインドのものの考え方です。
「地水火風」と四要素を列記して、その全体を集めて「空」とします。
この空をも合めた五つが苦しみになるというわけです。
それはどういう意味でしょうか。
五陰とは、色受想行識の五つを指します。
人の精神的作用を構成している五つの要素と思って下さい。
般若心経にもありますように、五陰は「空」です。
病気をしたとき、周りの人はあなたに優しくしてくれますね。
その時あなたは、有難いとか、うれしいとか思いませんでしたか?。
精神的に追い詰められてるとき、「つらいね」と声をかけられ、目頭が熱くなったことってないですか。
元気溌剌のときは、感じない自分の周りの「お陰さま」。
体も心も元気だから、「ほっといて!」「人の勝手でしょ!」とかつい思ってしまいます。
この「五陰盛苦」は、なかなか意識しにくい苦です。
五陰が盛んであれば健康な証拠ですが、この健康が苦しみになるという意味です。
いわゆる「元気を持て余す」という苦悩です。
現代の若者にいろんな乱暴な行いがあるのは、精力が盛んで元気を持て余してしまっているからです。
過剰な健康も苦しみになる。
だから人間は「求不得苦」で苦しみ、「五陰盛苦」でも苦しむ。
どっちに転んでも苦しみになっていきます。
これが四苦八苦というものです。