仏教の教え-ブッダ(覚った人、覚者)

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「苦」の人生をいかに生きるか。

ブッダ(覚った人、覚者)

バラモンの考えに基づけば、この世にはどうにもならないことがあります。

この世はもう捨てて、次の世を幸せにするために、この世で難行苦行をしなければいけないという考え方です。

釈尊も、その指導に従って苦行に入りますが、六年間もの苦行の結果、それはまったく意味のないことで、むしろ害があると気づきます。

なぜ無駄だとわかったのかといえば、次の世というのがあるかないか誰も経験したことがありません。

そんな不確実なことを目標にして厳かに実在する現在を投げてしまうということは無意味だ、愚かだというのがひとつ。

それと、いわゆる楽というものを求めて苦行すれば、欲望は次々にエスカレートしていき、いつまでも苦行を続けなければなりません。

だから、欲望を追いかける道の苦行は意味がありません。

それに気づいて苦行林を出たわけです。

しかし苦行山を降りと、「あいつは苦行が辛くなって逃げた、堕落した。」と思われます。

罵言雑言を背に受けながら村へ行き、たまたま出会ったスジャータという娘に米を牛の乳で炊いた甘い乳粥をもらいました。

この乳粥は当時のインドではとても贅沢なもので、修行者が口にすれば堕落したとみなされました。

彼も迷ったと思いますが、結局それを飲んで、体力を回復します。

真の悟りを求めるにふさわしい場所を見つけ、そこで、菩薩は瞑想をはじめました。

瞑想中に菩薩は思いました。
「魔王を知る前に悟りを得るのは私にとってふさわしくない。ならば魔王を呼び出そう。」

魔王の方も、自分が支配している欲界に仏陀が誕生されると困る、なんとか、菩薩の瞑想を邪魔します。

魔王は、はじめに、若くて美しい自分の娘たち(魔女達)をやって誘惑させます。

しかし、菩薩は、魔女達をやさしく諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。

怒りたけった魔王は、つぎに、怪物の軍勢を送って暴力で屈服させようとします。

しかし、菩薩は、怪物たちを慈悲をもって諭し、すっかり、菩薩に帰依してしまいました。

「このときにあの阿修羅も出てきます。」 ※阿修羅の魅力のページ参照

さらに怒りたけった魔王は、戦法を変え、ずる賢いペテン師をつかって菩薩を混乱させようと試みました。

しかし、これも失敗に終わった魔王は気絶し、魔力は全く無力化してしまいました。

こうして、魔の軍団を降伏させた菩薩は、本格的にお悟りをする準備に入られました。

そのあと河のほとりの菩提樹の木陰の涼しい場所に座って瞑想に入ると次第に求める思想が明らかになってきて、暁の明星(金星)の輝きを見た刹那、ついに悟りを開いて、ブッダ(覚った人、覚者)となります。

菩薩から仏陀になられた瞬間です。

仏陀とは、梵語(サンスクリット)で『真理を悟った人』と云う意味で、今世の歴史上では釈尊お一人ということになっています。

悟りとは、深い禅定に入ると全く澄み切った無我の境地になり、すると真理がなんの妨げもなく心に流れ込んで、真理そのもと合致してしまうのです。
すると、万物の本当のすがたの実相がありあり見えて(仏眼)しまうのです。

そしてその時、仏陀は、つぎのように仰せられました。

奇なるかな。奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。
ただ妄想・執着あるを以ってのゆえに証得せず。

意訳しますと。

不思議なことに。不思議なことに。すべての人には、如来と同じ智慧と徳相をもっている。
しかし、仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想をもっていて。
かつ、それに執着しているために、自分自身が『永遠の命』であることを証れ得ないでいるのだ。



時に釈尊は三十五歳。

そこから自らが体得した真理を伝えるために布教の旅に出て、八十歳で亡くなるまでのほとんどを旅から旅への生活を送られるわけです。

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真実にふれた

休験したからこそ無駄が無駄だとわかってくるこういう流れがあるためか、一般に、苦行は役に立たないといわれます。

苦行が空しいものだと知るためには、苦行をしなくてはいけなかったのではないかと。
苦行を体験して、「あぁ、これではどうしてもだめだ」と思ったというのがすごく大きなことです。

苦行という道を行ってだめだとわかったというのは、実践して真実を掴んだというのと同じです。

体得したものでなければ人を導いたりできません。

その意味では苦行が無駄だったということはなかったのではないでしょうか。

六年の苦行を体験したからこそ、その反対の静かな瞑想の中で、苦行によって本能的に模索されていたものが冷静な論理の形となって浮かび上がってきたのだろうと思います。

苦行を捨てたからといって決して反対方向へ行ったわけではなく、苦行と、その後の悟りは連続しているものだと思います。

ブッダは直感的に悟り、頭で納得しただけじゃなくて、体感として「真実にふれた」と感じたのでしょう。

釈尊は、得た悟りを頭の中で徹底的に理詰めで考えて整理していくわけです。

悟りを開かれた仏陀こと釈尊は、最初の7日間は、その悟りを味わいました。

その後の14日間は、悟り得た難信難解な法を、世の人々に説いてよいものかどうか迷いました。
本来、人々を救う法で、機根が低い人たちの場合は、逆に不幸にしてしまうこともあるだろう。説くべきか、説かざるべきか。

その時、もろもろの梵天王や帝釈天・四天王などの多くの神々が、その眷属たちを引き連れて現れ、人々のために説いて頂きたいと請うのでした。
インドの人たちは非常に論理的です。

ブッダも、まさにインド人らしく、日本人では考えられないほど論理的かつ緻密な構図を組み立てていきました。

それがある程度頭の中で整理できたときに、彼は瞑想から覚めたのでしょう。

それから苦行をしていたころの五人の友に会いに行くわけです。

この五人の友は、釈尊が出家して苦行にいそしんでいたときに、父の浄飯王がガードマンとして密かにつけて出した者たちです。

その五人も釈尊から少し離れたところで一緒に難行苦行をしていました。

ところが、釈尊は六年間の苦行の結果、難行苦行では解脱を得ることができないと知って山を下りてしまいます。

それを見た五人は「ああ、もう彼を守る必要はない」と思ったでしょう。

さらに釈尊が、河で水浴して体の垢を落とし、村の娘スジャータがすすめる乳粥を飲むのを見ます。

当時のインドでは、男女間で言葉を交わすだけでもとんでもないことなんですが、そのうえ乳粥まで飲むのを見て、五人の友は呆れ、釈尊は苦行を放棄して堕落してしまったと失望して、もはやガードする必要はないと彼を見捨てて、そこから離れたベナレスにあった鹿野苑の苦行林に入って苦行を続けました。

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